人が社会的な存在であり、人と人との関係の中に生きているということは、誰しもが異論のないことです。その人との関係の中を生きていくうえで「信頼」は欠くことができないものであり、その重要性は誰しも認識していることだと思います。この本は、そんな当たり前のことを説教する本ではありません。「信頼」というものを社会心理学から科学的に探究している本です。山岸先生(北海道大学大学院教授)は、世界的に活躍している社会心理学者です。この本には、山岸先生の長きにわたる社会的ジレンマの日米比較研究の成果の詰まっています。先日、「爆笑問題のニッポンの教養」というテレビ番組でも研究室が紹介されていて驚きました。内容が専門的なものとなっているので、一般書としては、「社会的ジレンマ―「環境破壊」から「いじめ」まで
「社会的ジレンマ」という言葉は、ご存じですか?人々が自分の利益だけを考えて行動すると社会的に望ましくない状態が生まれてしまうジレンマです。身の回りのことを振り返ってみると「環境問題」、「違法駐車」、「いじめ」など社会的なジレンマだらけですね。この社会的ジレンマの研究によく用いられる実験方法に「囚人のジレンマ」というものがあります。とってもおもしろくて、奧が深い内容なので、興味がある方はぜひ、調べてみてください。
信頼のない社会は、本当に生きにくい社会です。買い物もできなければ、ご飯も食べられない。様々な不信が次から次へと取りざたされる社会は、どんな社会なのかよくよく考えさせられます。多くの「不信」は個人の性格からくるものではなく、「状況」からやってくるものです。ぜひ、この本を通して、こころと社会の密接なつながりについて、科学してみてください。
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しかし、それを日本社会の構造に転化して「安心ではなく信頼を」と主張するのは問題があると思います。家庭や学校、地域社会などで異常な事件が頻発し「安心や信頼が失われている」という社会病理にさいなまれている現代日本人の抱えている切実な問題に対しては、全く期待はずれの「処方箋」であると言わざるを得ません。それどころか、読者に誤解を与え、こうした社会病理を悪化させる危険さえあると思います。
ダニエル・ゴールマンの「SQ」にある脳生理学や発達心理学などの成果を見ても、幼児期において家庭内に問題があり、親から「安心」「安全地帯」を与えられなかったり、デジタル機器を相手に孤独に放置されたりした人間は、成長後に「他人を信頼しない」「他人と交際の出来ない」人間になることが実証されています。戦後以来の自由、個人主義を至上の価値とする考え方、自己責任主義、競争主義、自立した個人という幻想が、こうした家庭をはじめとする共同体の崩壊をまねく原因となっています。山岸先生の議論が、それを助長するのです。少なくとも私の周囲の多数は、「安心を破壊することが信頼につながる」という大きな誤解をしており、だから、個人が、広い世界に向けて積極的に行動しようとする意欲を育む基盤、つまり「安全地帯」「安心できる港」である家庭や共同体を否定し、「自立」が大切という議論を展開しています。その結果、子育てや人事政策を間違え、うつ病や引きこもりが増大する。その意味で、「誤解を与え有害」と私は考えます。
山岸先生の気持に沿って私なりに考えますと、そうした「理屈を重んじない」日本の大学教授には、もともと、「公共性や使命感」を欠けており、「私的利益のためにお互いに集団統制を行って安心しているだけ」なのです。「もともと信頼という概念とは無縁」なのです。なぜなら「信頼」とは「公共目的を達成するための相互に協力」を行う上で、相手を判断する際の概念だからです。私的利益しか考えない同士は、「信頼できるか否か」は考えず、「安心できるか否か」という観念しかないのです。だから「安心を破壊して信頼へ」というテーゼはおかしいのです。強いて言えば「安心して私的利益をむさぼってぬるま湯にいることが迷妄であることに気づかせ、その迷妄である安心感を破壊すれば、危機感から、お互いに力を合わさなければならないという認識になる。そうすれば、信頼できる人間を求めようという態度、そして判断能力が身につくのでは」ということではないですか。しかし、「安心を破壊したら、自己中心の人間は、パニックに陥り抗争をはじめるだけ」かもしれない。だとすれば、正しい処方箋は「安心から信頼へ」ではなく、意識を「私から公へ」と切り変えることが先決ではないでしょうか。
歴史的にも、幕末の江戸幕府の幕臣たちは、黒船襲来にも「どうにかなる」と現実を直視しないで「私的・安心」の世界に安住していましたが、志士達は、植民地化される危機にあった現実を見つめ、日本の独立のためにという公共目的のために「公的・信頼」によって薩長土連合を形成し、さらに幕府方の秀才も、恩讐を超えて明治政府に一致協力して日本国家を形成しました。
こうしてみると「安心」とは、狭い島国で歴史的に形成された「日本社会の構造」ではなく、むしろ、戦後民主主義の中で、アメリカの庇護のもとに、自分の「命とお金」を至上の価値として、危機感を持たず、ぬくぬくと私的安逸をむさぼってきた結果として、身についてしまった現代日本大衆の虚無的で情けない迷妄なのではないでしょうか。